街作りは歴史の延長上に
ガウディは、オリジナリティーに関して
「奇異を求めてはならない。日常の事を改善するのがよい」
という言葉をベルゴスとの会話で残していることを何度も思い出す。
この言葉からすると、現在目にするガウディ建築作品に疑問をいただく人もいるかもしれない。実は、私も初めの頃はその一人であった。
だから私も初めの頃に描いた作図は、表面的に見える装飾は建築とは関係ないと思い削除したことを思い出す。
しかし、カタルニア工科大学バルセロナ建築学部で博士論文を発表した1992年以降、ガウディ建築の中の装飾的に見える部分がそれだけではないということが理解できるようになってきたのである。それが実はガウディコードの謎解きに繋がってきたのである。
原書をことごとく、手写本から始まり現在ではワードで原書の写本をして翻訳することで熟読のような理解ができるようになってきた。
流行を追いかけるというより、アイデンティティーの反映とそれにまつわる物語などが作品に反映されることが重要であることを示唆していることが見えてきた。
つまり、ガウディの建築は単なる建築だけでなく、総合芸術的な要素が含まれる作品としてのあり方を目指していたことが伺われる。
これはまちづくの概念と通じるところではないだろうか。
建築は、街のモニュメント的な存在になることも暗示している。その様子をうかがわせているのがサグラダ・ファミリア教会の計画にある。
ここでは地域計画にまでガウディは手を伸ばし、広場計画、サグラダ・ファミリア教会と地域のあり方、などまで携わっていることから伺える。
さらには遠近法が建築に使われている。サグラダ・ファミリア教会を見るときには、教会からおよそ294m離れたところで見ると全体が「自然の形」として見えるように設定されている。これについては、ガウディとベルゴスとの会話の中で遠近法の利用の仕方まで示していることからも裏付けされている。
ところが最近はそのまちづくりのキーワードがテーマパークのような発想になってしまい、地域とはまるで関係ないような代物が登場したりする。
この現象をどのように受け止めるかは個人差がある。
市街地の中心軸というのは地域に根付いた大切な歴史があるわけで、それを削除するというのは地域のアイデンティティーを損ってしまうことになる。
それでは何のためのまちづくりかということになり、老舗のあるところではそこに馴染んでいる人々たちにとっては異物が入り込んだような気分となる。
つまり新たなものを受け入れるには相当な時間がかかる。
地域に受け入れられるのに、新たなものが経済的に耐えられれば問題はないかもしれないが、通常はどうだろうか。それはあくまでも想定であり現実性に問題がある。
そこで歴史がその改善策を教えてくれている。
歴史を理解することでニューバージョンという時代構成の流れに沿った改善策を立てるというのが、西欧的な手法であるといえる。
中でもガウディのものづくりの手法は、そのような伝統的な流れをくんで新たなる提案として私達に教えてくれているのだが、そこまでの理解が通常では難しいのかもしれない。 |