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建築家トップ > バルセロナ便り > 第267回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

模型で建築の仕上がりを示す理由

模型は現物の代用である。素材こそ違っても形や収まりは現物と同じである。
ものが作られる過程で見本を作るが、それもより確実に最終的な形を確認するための手段である。
建築における作図というのは紀元前からも見られるが、現在私たちが理解しているようなレベルの作図ではなく、輪郭的な方向性を示すだけのデッサン的な絵という表現の方が正解である。
時は経て、13世紀のスイスとドイツの国境の町サーガンレンの修道院にある作図が建築用の作図としてもっとも古いとされている。日本では支割図という宮大工の虎の巻とも言われている作図が、マニュアル本の様なものである。
サグラダ・ファミリア教会においてガウディは、何故に模型を中心に作業を進めていたのかということが随分と話題になる。

現在の模型製作では、パソコンを利用した3Dプリンターまで導入しているので、小さなパーツはこの機械で製作される。できあがりの見た目は変わりないように見えるが、実際には手作業による模型作業とは天地の差はある。
模型も作品という視点からすれば、手作業の模型の方を優先する。ところが現実の作業レベルで見ると、仮設的な模型と仮設的な建築で計画するのであればそれでも構わないという見解にもなる。まるで消耗品である。運営状況と指導する建築家の裁量によるのかと思う。これで担当した人の時代が刻まれるわけだから、さらに歴史的に残されるかどうかは別問題となる。
少なくともサグラダ・ファミリア教会の誕生の門において、ガウディが携わった1926年までの部分と地下聖堂は、世界遺産として指定されている。その以降のものについては全く関係がないということになる。つまり新たな主任建築家次第では、ガウディ以後の彫刻群を撤去し、改めてガウディ手法としてその当時に作られた模型を中心に再検討し、そしてそれに基づいた手法で再生される可能性もある。建築の中の彫刻はあくまでも装飾の一部なので、その良し悪し次第でその存続が設定されることになる。
ガウディ建築の場合は、建築そのものが彫刻的な要素を醸し出しているので、それ以上に余計な、又は不適正な彫刻は調和としてはありえないということになる。そのような解釈ができる建築家が現れた時点で、1940年以降の現代彫刻の存在が問題となる。それらも次世代が判断するだろう。

模型は基本的な形を立体として判断できる適正な手段となる。
作図は時間がかかるうえに詳細を描き上げるには模型以上に時間がかる。
昨年、実験的にモニュメント計画をするために作図からではなく模型から直接始めてみた。最初は粘土をこねて求めている形を追いかける。確かに作図よりは現実として時間も短縮して仕上がっている。経済と時間の事を考えると、現実の建築施工としてこの手段を優先していることが理解できる。確かに模型で形を決めることの方が合理的である。
ただ作図は、その形態の理論を検討するには重要な手段である。いわゆる幾何学的な裏付けとプロポーション関係、さらに収まりの検討にもその作図による部分的な検証がしやすいということも理解できる。

しかし、模型に関わる人の立体感覚は、さらに形の合理性を面と形そして総合的な仕上がりまでも想像できるのである。
     
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