ガウディが考える「作品」としての建築
ガウディに関するエピソードの中で、特に協力者や職人たちのやりとりが気になった。建築作品を作る時に特に建築とは特定せず、「作品作り」ということだけのこだわりがどのような意味を持っているのだろうか。建築においては一般的に、機能が重視された空間論、機能論に終始するようだが、それ以外にも民族、精神性や哲学的、芸術性、地域性なども加えた総合的な概念を含めた建築形態や空間というのもありえる。
そこで「建築作品」と呼ばれるものはどんな意味があるのだろうか。
私はガウディの手記から、建築の中でも特にアート性の概念を持つことが建築作品という定義になるのではと読み取っている。そうすることで建築作品というのは「アート的建築」という言い方ができるのではないだろうか。ここで説明するアート的建築つまり「建築作品」というのは、単に箱的なイメージによる建築ではなく、またや仮住い的な器の機能だけによる建築でもない。あるものは「経済建築」という表現をする者もいる。これらによる概念から、建築ではなく総合性のあるランドマーク的な要素も含めた建造物を示唆するとすればどうか。これを「彫刻的な建築」という表現にするともっと理解しやすいのかもしれない。いずれにしろバナキュラーな建築なり、地域やオーナーの特性を演出した建築作家による建築作品を示すとしてはどうだろうか。
端的に言うと「芸術的な建築」=「建築作品」という表現でもある。
表現方法は他にもあるだろうがこの場ではこの表現によって定義づけしてガウディによる建築作品としての制作過程を紐解く。
ガウディ建築は、現実に生活上役立つ建築概念をもち「建築作品」として捉えることができる場面がよくある。ガウディはテレサ学院のオーナーであったエンリケ・オッソに「良い建築を作りましょう」という。このシンプルな言葉の中には深みがあり、基本的な建築概念をベースにした総合デザインであることが読み取れる。しかもこのデザインが使いやすさも含めて構造性や、テクスチャーも生活に優しく親しみやすい建築空間を想定しての言葉であるということも作品を通して想定できる。
つまり単に寝泊まりするだけの箱ではなく、精神性も演出された生活空間としてのあり方もこの言葉の中に含まれるということになる。
次にその拘りから、作品としての建築がどうあるべきかという想定において社会的、または民族的な価値と意義を見出せるような演出も含めていると洞察できる。特に「アイデンティティー」というガウディの言葉がとても気になる。社会的な位置づけから始まり、素材の扱い方、価値観の設定に伴う構造概念や建築基準との相関関係を含むとすればそのあたりの検討余地もある。所謂、建築家、建築士、建築屋、建設者たちがそれぞれの立場で作る建築の創作行為や目的が異なると思えることから、今後はそれぞれの分野における建造物のあり方や意義も明確にする必要があるだろう。
その意味ではガウディも建築家であり職務の立場を踏まえて建築作品としての意義を唱えているということが、彼と直接会話をしている建築家ホワン・ベルゴとの会話集からも読み取れる。 |