ガウディの図面は「模型立体作図」
形の中に線を入れることでその姿も変わってしまう。
いつも馴染んだ顔にホクロを入れたり眉毛を描いたりして化粧させることで、変装してしまうことになるという意味である。
どこにでも見られるようなズングリムックリの柱に線を入れる。それが彫りになったりする。柱に動的なラインを入れるときに、動物の足の筋肉の線方向を観察すると、場所によって各部の動きに従って伸縮できるように設定されている。つまりその筋肉線方向の動きに応じて骨が動くのである。
筋肉はその動的要素を含めたデザインとして見ることでガウディは、例えばカサバトリョの二本の柱にそのような類似性をもたせたということになる。
建築様式の伝統的でしかも規則的な形からでは生まれようがないことから、それらの因習的な流れから解放し、自然観察に従ったということで「自然を師匠」とするガウディのものづくりの姿勢の一部をここでも発揮していることが伺われる。
そこで形や発想は楽しいジョークのようにして生まれてくるといった見方をする。すると楽しいというのは心身ともにリラックスした状態であり、発想のフレキシビリティーが有効になっている状態であると確信している。作家の感情が充実した楽しい時にはそれなりの発想ができるということである。そこでジョーク好きなガウディには、そのような楽しい環境を自分の中で常に維持し続けていたということで理解するとどうだろうか。
ここで作図の必要性を考える。やはり幾何学的分析として、コンパスと定規による形の追跡もあるがそれ以外にも応用の手段にもなる。それが技術的な仕上がりとか詳細の収まりにまで展開させることができるからである。
ガウディの作図は模型という定規とコンパスによる立体的な作図をしていたのではないかという想像をしてみた。
私がサグラダ・ファミリア教会の実測をしていた1980年から85年までの5年間は毎日のように螺旋階段の実測の後、模型室に通っては職人さんたちと四方山話となっていたことを思いだす。その間に模型の進行状況が見られた。しかもそれらの模型にはエンピツによる線も描かれていたりする。ということはこの施工模型に定規とコンパスを上手に利用しながらさらに面に沿った線を描く作業で詳細なおさまりも検討していたということになる。
つまり作図は紙の上だけではなく石膏模型の上でも描かれていたのである。これを「模型立体作図」という表現にしてみた。
するとガウディは、より合理的な作図を模型の中でしていたのだろうかということになる。普通であれば作図というとほとんどの人は紙面上の世界にだけこだわってしまう。
ガウディは、職人達と建築協力者達との打ち合わせでラフ・スケッチも含めながら現場での施工技術開発も同時に進行させていたはずである。
現場重視のガウディにとってはその辺りの実践的な面を考慮して実施施工のスピードアップに繋げていたのだろう。
一方でコロニア・グエル教会計画のための構造実験模型では、当時の模型写真には布がつけられていたのを見かけたことがある。その時、私は、何のためにとおもったがそれ以上のことも思いつかず、単に全体のボリュームを視覚的に確認するだけの目的だろうと考えていたのだが。 |