ドラゴンは守り神か女性の化身か?ガウディも多く採用したモチーフの考察
ガウディは物作りの姿勢について“良いものを作るには第一に愛情、第二に技術である”と述べている。
ギリシャ神話に現れるドラゴンの他に、地下水を守るピトーンというトカゲのような架空のドラゴンがいる。ガウディはこれをグエル公園に剽軽でカラフルなドラゴンとして表現している。
この人々を脅かすような恐ろしい怪物でありながら、反面人々を悪魔から守ってくれるような世界のアイドルともいえる二律背反的な存在。この神話上の動物の姿は何を意味するのか。
水と火のシンボルであり災害、宝の守神の存在は世界的に共通する。
ここで想い出すのは般若の姿である。能の世界では女性の怒りを示した姿が恐ろしい怪物の姿となる。
ヘビなどもドラゴンの代名詞となることがあるが、聖書にヘビと女性の関わりがあるように、昔からヘビは生活の中で怒りの仮身として、その後でドラゴンとなっているような気もする。ドラゴンが女性の怒りのシンボルと言うことでドラゴンを般若として同一視するとどうだろうか。
宝や園、そして家を守る姿は正に女性のシンボルということがいえるかも知れない。
星座や干支にもドラゴンが現れ、これらの風習とは、関係ないところでもドラゴンが現れたりする。
さらに偶然かも知れないがそれらを気にするのも世界的に共通して女性達である。
カタルニア地方では、お姫様を襲うドラゴンを聖ホルへが槍や剣で退治する。
これも解釈の仕方では王子に嫉妬したもう一人の女性がお姫様を襲うというような場面も想像できる。
日本の八俣の大蛇退治は、古事記に現れる八つの頭をもった大蛇とあるが、これもドラゴンと同じような爬虫類的な怪物であることには違いない。
聖書では創世記でイブにリンゴを食べさせるヘビが現れ、モーゼの杖は毒蛇となって病んだ人々を癒し、さらに黙示録では七つの頭をもった怪物ドラゴンも現れる。
中でもアダムに恋をしたもう一人の女性がいて、ヘビになってイブに人間の苦しみを与えてしまうという理解は可笑しいだろうか。
まだ他にもギリシャ神話では100の頭をもったドラゴンも現れ、ヘラクレスと戦うシーンがある。マヤやインカ文明にもドラゴンが現れ穀物の神として祀られていたとされている。
中国の神話の世界には真珠をもったドラゴンが現れ、王のシンボルとされているようである。
真珠は女性のシンボルである。また羽衣天女達もドラゴンの仮身とする見方もあるようだ。
中国では昔の女性はカルシウムを摂取するのにこの真珠を利用したとしていることから、それをシンボライズした神の姿がドラゴンということになる。
ドラゴンの説明をし始めると底なしのように嵌り込むほど多くの見解がある。
ガウディが単に神話上の架空の動物をモチーフとして守衛の演出をするためにドラゴンを利用したのか、それ以上の意味を含めてのドラゴンなのか明らかではないが詩人であり司祭者であったハシント・ベルダゲールのアトランティダの本の一節に現れるヘスペリスの園に合わせて、ギリシャ神話を含める星座なども演出する視点からすれば、かなり神秘的な思考がガウディにあったということになるだろう。
いずれにしても家の守神であるということでここでは留めておく。
そのドラゴンは昔から建築や生活習慣の中のシンボルとして利用されてきた。
ガウディもこの生活の守神としてのドラゴンをフィンカ・グエルの他にも利用していることが伺える。
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