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建築家トップ > バルセロナ便り > 第290回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

彫刻の理解には、見る者に知識と経験を求める

ガウディの建築が自然主義であるという見方が普遍化されている現在、実際にはどのような方法でその自然主義の所以となる演出をしているのだろうか。
ガウディの建築には動物や植物のリアルな表現が見られる。私もサグラダ・ファミリア教会誕生の門を初めて見たときには、「巨大な彫刻群」のような塔に圧倒されて建築家になることを断念しようと思ったほどに、芸術的な表現の豊かさに驚かされた。まさかその12年後に、その建物を作図するとは夢にも考えていなかったことであった。
その「巨大な彫刻群」には人間と動植物のリアルな表現がされているのである。しかも聖書に基づく演出となっている。
その建物を実測していた頃、どうしてこのような装飾的な彫刻を作る理由があったんだろうと考えていた。その頃、思いついたことといえば単に聖書の演出と思っていた。ところがその後に、これらの彫刻群がそれだけでの表現ではないことに気がつく。それがガウディ・エッセンスである。

例えば誕生の門正面のシュロの木を支えている2種類の亀たち「ウミガメ(Chelonioidea)と陸亀(Testudinidae」がいる。
この爬虫類たちの上、キリスト誕生の知らせを演出するためのトランペットを吹いている天使二体がそれぞれの亀で支えられている。
さらにその亀達に近づいて詳細を見ると、亀の口には穴が開いていることに気がつく。ここでは腰を低くして見ないとその様子が見られないが、どうしてこのような細工をする必要があったのだろうか。
ガウディの自然主義のスタイルがどのように表現されているかにここでも気がつく。表現はリアルな亀として表現されている。しかもそれらの口に穴が開いていのは、それらがこのファサード部分の吐水口となっていることを想起させる。建物には収まりに応じたディテールの処理が必要になる。つまり水に関わる吐水口には、それに関係する動物達によって演出されていることがわかる。単に「可愛らしい」からとか「気まぐれ」にその収まりをガウディがデザインしたとは思えないのである。

ガウディの日記にもあるように、彼の装飾概念の中における「美へのこだわり」からは装飾的な意味だけではありえない。つまり建築機能としての必要不可欠な意味に気づく。さらにもう一つ、亀そのものの意味も当然含まれるはずである。でなければヤシの木や天使達を支えるような場所にこの亀達でなくても良いことになるからである。
ではどんな意味がありえるのだろうか。ここで民俗学によるシンボリズムが付け加えられ理解できる。日本では鶴や亀における伝統的な言い伝えがあるように西洋文化でもこの意味が共通となる。
その昔、民族が生まれ言葉も生まれた時に、人々は自然の観察の中から動物達の生態を観察していた。その特性を人間社会に演出させるメタフォラーを考えてのこととなる。そのようにして伝承による伝説や神話、そして迷信のような物語までも社会環境に関連付けた秩序を考えた人たちによる考案ということが言えるはずである。
そのようにしてガウディ建築を観察すると、見る側の経験と知識によってその演出の意味合いが異なるだろう。

ところが本質的に「地域のアイデンティティーの演出」、つまりバナキュラーナ演出として理解することで、より普遍性のある見え方となるようにガウディの建築ディテールがデザインされていることが理解できるようになる。
     
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