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建築家トップ > バルセロナ便り > 第295回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

体験と理論、知恵と知識

ここでさらに芸術についての話をもう少し進める。
自分にとって芸術というのは、とても難しい分野であると思っていた。ところがガウディの世界に入り込んで総合的な学問としての「芸術」という見方にすることで、とても親しく思えるようになってきた。
誰もが好き嫌いがあるように、色、形、サイズ、匂いとそれぞれに特徴がある。
ところが普通の人たちにはどうも「芸術性がない」とか「関係ない」とか言う人がいるが、自分の好みに合わせて生きていることには気がつくはずである。
好みというのは感性であり、その感性が芸術のベースになっているという定義にするとどうだろうか。分野に関係なく世界の人口程に芸術のありかたがあるということになる。
自分がアートを拒否していた学生時代は、単に絵が描けないとか文字が下手ということの他に世間で言われるところの「容姿端麗」でも「美のステレオタイプ」でもなかった。ごく普通のどこにでもいるようなタイプで、しかもボーと仲間達の中に漂うような自分がいたという意識のほうが強い。
目立った行動もしていたわけでもなく何となく、むしろ無気力に近い自分のカオス状態で学生時代を過ごしていたのではと思うほどである。

それで言語も習慣も異なる場所において自分の生活環境を変えることで、自分の活動と好奇心のあり方さえも変わってしまうということを自覚するようになってきた。社会人になり始めの頃は、何でもできるという気負いで大胆な行動でスペインに来てしまった。ところがその行動の結果今のような自分になるなど想像はしていなかったのも事実である。

予想ができない自分と未来があるからこそ好奇心を掻き立てるのだという論理が自分の中で成り立ってきた。
ガウディは「オリジナルは原点に戻る」という言葉を残している。何かの問題にぶつかった時にその原因を求めるのは当然だが、その問題の根源にまでさかのぼることで本来あるべき形を見極めることの大切さを体験してきた。
そこで「体験」と「理論」とではどこが違うのだろう。これは「知恵と知識」の違いとも言えるのではと思える。
体験はこの漢字の通りでまさに体で経験することであり、それは知識のようにレフェレンスによるバーチャルな理論としてみる。そこで理解できるのは空気や時間などが存在しない世界となる。つまり評論家たちによる論理構成で整然と自分のレールに従った物語を構築することに終始すると言える。
ところが「知恵」とは経験を伴った考え方が問題に対する適応性を身につけるようになる思考性であって、知識はまさにレフェレンスとしてまとめることで自分の思考に適応させるということのように私は感じている。
そこで私が実測と作図そして原書の翻訳から得てきた体験と知識は知恵を作り出しているということに気がついた。つまり体験はその実測であり作図であったりする。それを自ら経験することで知恵に変えくれる。さらに知識としてのレフェレンスからそれらの経験の裏付けを見つけることで、その知識は知恵となっているのではないだろうかと思えるようになった。
その行動がエッセンスやコードを見つけ出す鍵になっているということである。

そのようにしてガウディのいう芸術がとても実践的であり自然観察も自分が虫を追っかけまわしていた学生時代の経験と観察が現在のベースになっているということを実感している。
     
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