建築に現れるガウディの性格
建築家になろうという志から始まった自分の人生が、今では初めの思いから随分と成長したかのように見えている。さらに大きな広がりのある建築家として、さらに実測家としての目標が増えて面白い動きになっている。初めの頃は、一軒の建物を作ることが建築家の仕事と思っていたが、次第にそれだけではない世界も熟知しなくてはならないということに気がつくようになってきた。
今までの40年間のスペインでの生活は実測家としての活動が主体であったが、最近ではさらにまちづくりのために取り組むべき手法を考えるようになってきた。
人々が住める環境がどうあるべきかというテーマをベースに、利用のしやすさや居心地が問題となる。さらに、総合的な視点としての社会性や芸術性を求める生活環境となるような「まちづくり」のあり方を考えさせられる。その意味で、これまでの実測調査というのは時間をかけ、しかもそのまちで過ごすことで、社会的問題から始まり、気候、生活習慣、そして民族性なども体現することができた。つまり地域の空気を肌で感じるフィールドワークとして独学的な見地による研究をしてきた。そのお陰で地域のアイデンティティーがどのように反映され、どのようにして生活環境に反映されるのかということも考えられるようになってきた。それは自分の個性にあった考察の整理であり、若い頃のカオス思考も次第にこれらの研究で整理されるようになってきた。
今、私が住んでいるバルセロナは、スペインの北方になる。スペインの中でも北と南では生活環境が異なることから、同じ環境の生活空間とはならない。つまりスペインの中でも同じような建築にはならないというと極端だろうか。例えば日本の沖縄と北海道の建築環境を比較しても同じようなことが言えてくる。さらに台風の多いところ、洪水の多いところ、地震の多いところ、日射が強く風も強いところ、そして気温によってもその生活環境が変わるのは当然である。これらの諸条件でしかも地域を活性化するにはどうあるべきかというテーマが浮かび上がる。
次に考えなくてはならないのは生活媒体、社会問題、経済問題、人口問題も含めて地域を維持させるための手段がどのようにその地域計画の中で位置付けられるのかということになる。
中でも私が積極的に進めていることは、今までの研究から自然と芸術性を軸にしたまちづくりを勧めている。理由は生活と芸術は密着しており、不可欠な要素であるということである。
中には芸術の前に合理性や機能性を勧める人も多いはずである。それは経済的な面での合理性であってトータルな合理性にはならない。つまり人々の感性が見えていない。合理性というのは産業革命後に作られた概念としてみているがどうだろう。それまでは伝統的な手工芸的家内工業で社会が維持されていた。特に衣類や調度品に関してはその変化が著しい。
工業化、特に産業革命によるに大量生産によって経済が急成長をする。そんな文明開化の動きを脇目に、ガウディは、自分が地中海民族の一員としてその感性を芸術に反映させるような活動を進めていた。しかも伝統的な手法による地道な改善方法である。
そこでガウディは「自分の性格までも自制できないほどに反骨的で躍動的である」面があることを会話の中でほのめかしている。
そのような性格による建築作品が現在我々の目にしているものとなる。
つまりその性格が彼の芸術や建築に反映されているということであり、その要素をどのように読み取ることができるかということを最近特に強調するようにしている。
例えば地中海芸術の特徴である「光と色」。この特性がガウディの作品に反映され、彼の一連の作品を通してその拘りを露出させている。 |