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建築家トップ > バルセロナ便り > 第319回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

ガウディの情報源ともなった仕事を共にした人々

測る行為は建築だけの世界ではない。しかも分野によってその測り方も異なる。測る、計る、図る、量る、謀る、諮る、察る、と漢字までバリエーションがある。つまり分野においての測り方がこの漢字によっても説明がつく。
私も最近ワークショップで参加者を集める時には、分野や年齢にこだわりなく多くの人たちが集まってくれることを希望している。
そうすることでより多くの情報が入ってくる。

それはまちづくりにとっては貴重な情報源となる。
ガウディの作品はまさにそのような情報源を利用してのことである。
サグラダ・ファミリア教会での工事現場には、毎日現場職人―石工、大工、彫刻家、鍛鉄工,建築家、建築技師、構造家、ドラフトマン、レンガ職人などの人たちが現場にいたというが、そのほかに個人的な計画においても施工業者と職人達との交流もあったことは洞察できる。ましてや詳細の詰めにはガウディ自ら専門の職人との打ち合わせをしていた。 
それは彼の父フランシスコとの工房でのやり取りを幼少から見ていたことからのシミュレーションにも似ている。物を作るときには職人達とのやりとりは当たり前のことである。そして彼が建築家となってからは、職人達とのコミュニケーションの手段は簡単なスケッチもあったりして相互に理解しやすいワークショップが続けられていた様子も職人たちとの会話から伺うことができる。

ガウディは学生時代からバイト先のプンティ工房で各分野のアーティスト達と職人達と連携して仕事をこなしていた。 そこは模型、木工、鍛鉄を主とする建築に関わる下請け工房であった。ガウディはそこで作図をしたり模型を作ったりその詳細の実施まで作り上げる体験することもできた。
この時の様子を伺わせる口ひげのガウディの写真がある。バセゴダ教授がいた頃の王立ガウディ研究室にその当時の写真が保管されていたのだ。 それによると25歳前のガウディ学生時代の姿である。
これから洞察できるのは決してスポーツが得意な体型ではない。肩もなで肩でどちらかというとひ弱な感じも受ける。というより華奢な体型に見えてしまう。
この頃にはすでにフランシスコ・パウラ・ビジャールのプロジェクトやホセ・フォンセレーとのシウダデラ公園計画(1873−1887)などにも協力していた。
他にはバルセロナのフォンセレーによるボルネ市場(1873年)の計画にも関わっているとされている。ガウディのオリジナル性は、それらのバイト先でも発揮され、建築家となってからも彼の作品で徐々にそれらの経験が反映される。

フォンセレーとの仕事については1882年のサマ公園(タラゴナ)で、グエル公園の序章のような作品にしている。ここではシウダデラ公園やグエル公園に類似した洞窟的な人工滝などを計画している。つまりホワン・マルトレールの作品で演出しているような洞窟的な模倣をここで採用している。これをガウディ的な手法としてみると、それらに共通する水の生物達もこの公園に取り入れていることから、方向性として自然と人工的な環境の共存を演出しようとしていることも理解できる。しかもそこにガウディのアイデンティティーのようなものが提案されている気がしてならない。そしてその水、洞窟的な空間のコンビネーションが地中海的だとすれば、涼を得るための必然的な生活空間としてこの時期からガウディの創作の世界に入っていることになる。
     
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