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建築家トップ > バルセロナ便り > 第320回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る


チャレンジ、そして「忍耐と継続」

ガウディの建築とはとても奇異をてらった作品だと評価する人たちがいる。私も初めて見たときにはすごい装飾群の建築と思っていた。ところが次第に理解が深まることで、そうではないということに気がつくようになった。今では全く逆の見方をしている。むしろこれが世の中でもっとも理想的で自然な演出をした建築ではないだろうかとさえ思えるのだ。
その代表作がコロニア・グエル教会でありカサ・バトリョであり、その集大成はグエル公園で完結させていると見ている。
どれだけの人たちがそれを理解できるだろうか。
一人だけでも良いがその理由を知ってもらいたい。
誰もが自分だけがと思うことがある。それは誇大妄想にも近いがそうとも言い切れない。信じきるということはそういうことではないだろうか。

それが自分の中での葛藤となり、その壁に向かって何かということを知りたい欲求にかられる。登山家たちはそこに山があれば登りたくなる。海の好きな人がいれば海を見るたびに泳ぎたくなる。私が実家にいた頃は雪を見るたびにスキーがしたくなったことを覚えている。反応は単純だが人々の反応というのは実はその単純作業の繰り返しであると確信している。
ガウディも協力者との会話の中で、「仕事は繰り返しの中で成長を見る」という言葉を残している。その言葉の中には「忍耐」(Paciencia)も含まれているのだ。どんなことにも負けず、作業を続けること。この簡単な言葉をどこまで忠実に実行できるかがその人の個性になるということに気がつく。そこに言い訳などない。つまり無条件なのだ。というのも条件をつけると言い訳になってしまうからだ。
自分の生活で妥協は許されるのだろうかと考えた時、どこかでできるのだろうか、またはどこまですればいいのかを考えさせられる。そこには限りなくということを入れると納得するかもしれない。私の実測の世界では、どこかを測って何を描きたいのかと自分の中で方向性を見出して描くようになった。でもそれは最近のことである。初めは漠然と詳細を測っていた。それがどんな役に立つのだろうかということさえも理解できていない。しかもそれを測って何が見えるのだろうかと思いながら今日に至る。まるで目的も時間も関係なく無限に続く実測と作図である。

ここで多くの人たちは私に尋ねてくるはずだ。そんな事をして生活ができるのか。またはどんな意義があるのか。ここで明らかな事は、誰もしたがらない作業ほど面白い世界はないと思えるようになったこと。それが理解できる人は、私にその訳を教えて欲しい。ここではその解説はしない。むしろその解説は個々にあってその人を成長させるからである。人々は難しいことには挑戦しようとする気持ちが起きにくい。それは面倒だからという反応が直撃する。

これが実はチャレンジ精神である。そして多くの人達は、その失敗を怖がる。 その理由は何か。人によっては社会を気にしたり、他人を気にしたりと言うことである。一番大事な自分と向き合っての対応を忘れているのも現実である。
チャレンジというのは、社会性がないという意味だろうか。実は少数派の人たちがそれに勇気を持って向き合ってきて現代の世の中を築き上げてきているというのも証である。そんなチャンレジがなくて現代はない。科学や技術の進歩もない。しかも研究もその一環である。つまり社会の中で誰か自分の身を顧みずチャンレンジしてステップを作りあげているというのも現実である。

進化という世界は、そんな世界だと信じている。ガウディのつよい言葉「忍耐と継続」はこの世界に残してくれたガウディの精神性の言葉であることを確信している。

願わくば自分もそんな人生であって欲しいと思い続けている。
     
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