カサ・バトリョが想像をかき立てる
サンジョルディと素戔嗚尊(すさのおのみこと)の類似性
ガウディは屋根について
“屋根は防水で柔軟でなくてはならない。
これは矛盾のようであるが、素材はコンパクトで圧縮されているが、必要であれば分割され、膨張、圧縮効果を吸収するための空隙となる。 金属、スレート、瓦、等が適している。
棟の建設においてこの部分の構造は、載加荷重を支持するだけの耐力が要石の上にかかり、非常にシンプルに支えられる。
北方の聖堂の屋根は急勾配で要石は載せられない。これは経済的(低勾配の屋根より材料も少なく、それによって軽い)である。
屋根は今日実用的(監視、管理、準備)な役目も持つ。
屋根は木製の抵抗部分で常に修理を必要とする。全体における石の屋根を求めるべきである“
としている。
この技術的視点がカサ・バトリョに反映され、しかも屋根の姿から既に評論家達によってドラゴンの背中の様に表現されていることはよく知られている。
しかしそれを鱗状の瓦にアレンジしたガウディは何を考えたのか。
カサ・バトリョに関するガウディの意匠的言葉は殆どない。ましてや建築の演出については彼の残したファサード・デッサンはあるが、デザイン・プロセスの説明は皆無である。
そこで私ならこのように想像する。立体十字の柄をもった剣が、7つ又は8つの頭のドラゴンの体にぐさりと刺され、まるで闘牛士が剣を牛の背中に奥深く突き刺し鍔と柄だけが体から突き出た様に感じて、想像するだけでも鳥肌が立つ。
傷ついたドラゴンが大地を振るわせるような悲鳴をあげているシーンが、このトリビューンの出窓部分で表現されているかのようでもある。
そうなるとオーナー・サロンにある渦巻き天井は、さしあたって口蓋といったところだろう。
このドラゴンの口蓋は道路側から覗くことができるほどに大きな口を開けている。
ドラゴン退治と言えばそれに似た様な神話は日本にもある。
古事記に現れる“八岐大蛇”がその例である。
記紀神話で、出雲の簸川(ひのかわ)にいたという大蛇。頭尾はおのおの八つに分れる。素戔嗚尊(すさのおのみこと)がこれを退治して奇稲田姫(くしなだひめ)を救い、その尾を割いて天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を得たと伝える。[広辞苑第五版]
ここでは記紀神話で奇稲田姫を救うために素戔嗚尊が大蛇を退治した際の十拳剣が現わされているがこの剣の長さが10拳の長さということになるからそんなに長くはない剣であり、むしろギリシャーローマ時代の剣にサイズも似ている。
どうもサン・ジョルディの神話とダブってしかたがない。
昔からドラゴン退治の後には、お姫様の救出で一件落着となる。
ギリシャ神話によると、エウリステオ(Euristeo)の指示でヘラクレスは、ヘスペリスの園にある金のリンゴを採るために守衛のドラゴンと闘う。(ところで、この神話の一部は解釈の仕方が幾つかあるが、ここではその説明は避ける。)
最終的には、ヘラクレスは金のリンゴを採り、エウリステオの手に渡す。ところがエウリステオはそのリンゴをもてあましてヘラクレスに戻し、それはアテネの女神に渡されることで、結局元の園に戻されるとされている。
この部分は神話の落ちと言えるのかも知れない。 |