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  建築家トップ > バルセロナ便り > 第87回
実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

パテントを取っていれば………
逆さ吊り構造実験模型を正対で見せるアイデア

ガウディの言葉の中に「双曲線、放物線そしてカテナリーはフニクラーである。初めに最大荷重は、中心にあり次第に遠ざかる。したがって減衰する。第二の荷重は等分布荷重、第三の荷重は中心(楕円と放物線の間にある)から離れるに従って増す。これがフニクラーであり放物曲線である。」というのがある。これはベルゴスとの会話の中で放物曲線の特性を示している。

建築において伝統的な要素ではない放物曲線を利用するには、それを現実に人間社会に利用できるかどうかという裏付けが必要とされる。
その形態を構造的に裏付けるにはカテナリー曲線を利用した構造実験をすることで、ガウディは解決できると思い込んだ。
しかしその検証には血も涙もでるような、過酷な10年を過ごさなければならなかった。
というのも、でカテナリー曲線を求めるために、職人達が全体のバランスを見ながら腸詰めの紐に重さと位置を想定して、布袋の中に空気銃の玉を詰め込みつり下げていった。
地味な仕事であり根気が必要であった。これはガウディの協力者で建築家であった、カナレッタとルビオ達の指導で職人達による作業であった。

しかも昼食の後に油で濡れた手で作業を続けたこともあったために、腸詰めの紐には油が塗り付けられた。ある朝、職人達が作業場に出勤したとき、開いた口がアッの状態で止まった。なんと逆さ吊り構造実験模型の紐はネズミにずたずたに食いちぎられ壊されていたというのである。というエピソードが残っている。

この模型は、一カ所を触ると全体がカテナリー曲線状の紐が連結されている為に、全体が動いてしまうのである。まるでクリスマス・ツリーを逆さに取り付けるような作業にも見える。

この逆さ吊り構造実験模型の複製は、ドイツ人の構造建築家フライ・オットによって1984年に再現され、その年のバルセロナの街で行われた「巨匠ガウディ展」で展示された。
それらの逆さ吊り構造実験模型をいかにも地上から立って見えるよ、う私はその下に鏡を添えるアイデアを提供した。
それによって、その構造模型は写真を撮らなくても建築のように地上から立って見えるのである。このアイデアはその後至る所で利用されるようになった。今思うとその当時にパテント登録でもしておけばと思った。

では、構造計算がその当時はなかったのだろうかというと、簡単な鉛直荷重計算程度に毛が生えたようなもの。その発達は20世紀の半ばまでは、見られる事がなかったといわれている。

その前は構造計算というよりも、経験による部材の設定に委ねられていたということは知られている。これは日本でも同じ事である。
大工や石工だけの世界では数学的な計算や物理的な検証は別の世界であって、建築は経験による部材設定であった。
ガウディは経験主義の建築家としても知られている。
つまりは経験的な手法によって建築構造の解決を見いだそうとしていた事から、模型までの経緯は理解できる。

ここでむしろ伝統的な構造体からの改善を図ってのこととしているわけだから、ガウディの考案した構造体は前例がない。その意味では計算というより具体的な縮尺によるシミュレーションによって部材のサイズを設定していたことがわかる。


   
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