近似値の積み重ねの醍醐味
ガウディは建築の音響効果を考慮して「キューポラの共鳴は、円筒壁体(凸面は音を分解する)の柱で解決される。隔壁ボールトには漆喰の貝殻で面を白くすることで解決しているが」と残している。
コロニア・グエル教会地下聖堂のドームは、構造的な強度を得る効果と合わせて音響効果も高めているのではないだろうか。ところが鐘楼ではないのであくまでもドームとしての役割である。ドームの位置は中央祭壇の上部ではなく中央身廊上部の入口上部に位置するようなドームとして、ガウディのスケッチから伺える。
しかもこの教会では、音が隅々にまで聞こえるような仕組みにすることで、ミサがより聞きやすい状態になるはずである。その為に周囲の腰壁部分はポートランド・モルタルの艶出しとなっている。これも音響と安全性の事を考えての仕上げではないだろうか。
とすればガウディの頭の中では1つの機能だけではなく多角的な機能を考えたということになる。
推察だけでは信憑性が薄れる為に、これからは科学的実験も必要となる。
これは振動学と音響学の分野となるはずである。
建築計画は、用途に応じて構造体が計画される。国によって、伝統や生活様式によって建築手法も異なる。
日本での伝統建築が日本の宮大工によって伝承され、彼等の支割図という「虎の巻」に従って建築が作られてきた。
それは構造計算ではなく部材寸法の割り付けや詳細の在り方となっている。
あくまで軸組に従った構造システムの説明と言えるだろう。
つまり構造はプロポーションと経験からの想定ということにもなるのではないだろうか。
技術と科学の進化の中で、構造は数学的な解析によって精度の高い近似値まで計算できるようになったと専門家達は口を揃えている。
特に曲面体の構造はどうしたことか。集結しないπはミステリーゾーンの世界であり、それが曲面体の中に含まれているということになる。
これも限りなく近似値である。
つまり曲面体は未だにミステリーでアバウトな世界という解釈もできるのだろう。というより曖昧性があると言えるのかもしれない。
コンピューターの世界でも曖昧性を追求しているそうだが、まだ現実には凡そ遠いのではないだろうか。
それほど人間の感性は崇高なものであるということであり、技術だけでは超越できない分野であるといえるのかもしれない。数字の世界と現実の世界とはまた別の世界である事は、今までの経験で十二分に理解されている。
音の世界でも整数で割り切られた鐘の音はつまらない音しか出ないという。
人間の好みはそれぞれに違う。誰もが一致するものではなく、任意の音が好きな人もいれば嫌な人もいるということである。
その意味では相似的に色、味、視覚等、五感に関わるものはまさに複雑であり、それを均一化する事がむしろ無意味であるということになる。
ガウディは図面や計算をするよりも直感を優先することを考える。さらに工期を短縮する手段として模型に委ねている。
彼の複雑な形は、確かに作図をするだけでもかなりの期間が必要だろう。それは私が自ら自分の半生以上をかけて、しかも実測と作図でもって経験してきたので間違いない。
その経験によって言えるのは、ガウディの各建築計画のそれぞれに、私が経験したガウディ建築の実測と作図に費やした時間をかけたとすると、どの作品も未だに完成していない事になる。
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