生涯に一度だけ描いた建築図面
ガウディの作図に関しては、セサール・マルティネールとの会話で「非常に尊敬するホワン・マルトレールのオリジナルであるバルセロナ大聖堂の立面計画において、人生で一度だけ図面を描いた」と言う。
という事は、ガウディがサグラダ・ファミリアに従事するようになってからは協力者達も増えて、彼等無くして作図はありえなかった事の裏付けにもなる。
中でもそれまではガウディの「右腕」と云われるフラシスコ・ベレンゲールは1914年に亡くなるまで、ガウディの第一番頭として建築計画管理を進めていたことは歴史上知られている。
作図計画は、ビジュアルな言語として非常に便利である事は、今更私が云うまでもない。
ガウディの建築は、どの作品もかなりの計画期間が必要とされていたことは想像できる。その期間中に合理的な手法で建築計画を進めるわけだが,まったく鳥肌が立ちそうな建築をガウディは計画していたということの裏付けが取れるようになった。
地上の物理的現象として、物を放り投げると加速、重力、空気抵抗も合わせて放物線上に落下し、宙づり状態から物が落ちる時は、グランドに対して鉛直に落下する。放物曲線又はフニクラー線状に構造体を地上に作るという構造理念を、歴史上何人の人が理解し得ただろうか。
著名な数学者デカルトは、1637年に彼の「方法論の講義」で、カテナリー幾何学の科学的基礎の説明をしている。その章では、数学方程式によってカテナリー曲線が作図され展開されている。その後にも、ガリレオ・ガリレー(1564-1642)は、「均衡における曲線は両端を支えた紐によってでき、放物曲線に似ている。」と1938年に書かれた”システムの対話”で述べている。アイサック・ニュートン(1642-1727)は1687年に、最も正確なカテナリー方程式を数学方程式から得て、最小限の耐力調査を実施した。
他にも歴史上の物理的現象からカテナリー曲線を説明している人はいるが、建築においてその特性を体系化して経験的に実践した人は、ガウディ以外には見当たらない。
いずれにしろ物の発見というのは、テーマ性をもっての計画で、ある機会に、既に抱いていた疑問に関連する現象を傍で観察することで発見に繋がるということだ。既に発見できる環境ができ上がっていたということになるのだろう。
つまり矛盾するような偶然性を、「感性の波長の同調」ということで処理できることになる。
そんなことをガウディがこのコロニア・グエル教会の構造実験で体現していたようにも思える。
つまりガウディは、建築条件の中で、自然・物理に「経験と知恵」というファクターを組み込んで、新たな物を作り上げる環境ができあがったと言えるのではないだろうか。
それはまさに幼い頃からの自然観察であり、学生時代に教わった知識と更に独自に観察しえた生活環境の中から得た要素が新たな建築演出となっているということになる。
ガウディは、彼と協力者達との間で「経験」という言葉を幾度も繰り返す。それはまさに経験の重要性を意味し、それを積み重ねることによってでき上がる知恵や認識で、新たな要素の発見に繋がると言う事を示唆していることになる。 |